TAKIBI - Takatori NewsLetterTakibi n. 83 -- September 2000
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Edited 2000.9.25

  News brief
 

   
 
  出会い
くらしの助け合いの活動を始めてから4ヶ月が過ぎようとしていますが、試行錯誤を繰り返しながらの毎日です。そんな中でこの猛暑のなか、1人の男性との出会いがありました。8月のある日曜日(しみんくりーんうぉーく)主催のフリーマーケットにリーフグリーンも参加したときのこと、ボランティアとして長田から須磨の下中島公園まで、炎天下自転車で手伝いに来てくださった。この日は快晴、気温最高。それから店じまいまで4時間あまりも、いくら傘の下とはいえ暑い中椅子にかけての店番をしてくださった。その間、昔の話や日本歴史のことと豊富な話題にビックリ。若い者が暑さでダウンする中で最後までお元気でした。そしていままで座っていた椅子を見て、「この椅子修理したる」と、自転車の荷台にくくりつけ「ほな、さいなら」と帰っていかれた。後でお体の調子はいかばかりかと心配したが、3日後の茶話会には「椅子なおったで」とにこにこと自転車で走ってこられた。手には見事に丈夫になった椅子がありそのお姿をみてほっとしました。90歳をすぎて尚、かくしゃくとされているNさん、これからもよろしくね、そしてありがとう。(リーフグリーン、橋本雅子)

 
  3年ぶりにベトナムへ帰った。気候は変わらず暑いが、都会の風景がかなり変わった。今回、帰国の主な目的は、健在中の両親に故郷(ベトナムの北部にあるタイ・ビン省)へ連れて行く計画だった。両親は、46年ぶりに生まれ育った土を踏んだ。すぐすることは、胸に空気をいっぱい吸い込んで、なつかしく見回った。(故郷の)風景が90%ぐらい変わったが、70代の父母の足元は非常に軽く、さっさと感じた。『この木から落ちて骨を折ったんだ』とか『毎日泳いだ池はこんなに小さかったけ!』等の話をしてくれた両親の顔が、子供のように見えた。イキイキした両親の表情を見て、よかったなぁと、私が大満足!
会ったことがない親せきにもかかわらず、なぜか人懐こい。遠い田舎暮らしの彼等にとって、日本のことは全て新鮮!毎日、私が居る所に(日本の)話を聞くために集まって来て、講演のような気分だった。小さい女の子達に(見たこともない)マニキュアを塗ったり、髪の毛を解いたり、変わった括り方すると、高額なプレゼントをもらったのように大喜び。現代の子供は贅沢すぎて、与えて喜ぶのは高額の物じゃなければならない気がする。10日間ほどの滞在だったが、もしかしたら人間の原点はここにあると....思った。(神戸定住外国人支援センター、ハ・ティ・タン・ガ)

 
  私が初めてメールをだした相手は村上春樹氏だ。友人宅で『村上朝日堂』のホームページを見せてもらった時、そこからメールが送れることを知り試してみた。内容はそのころ誌面で話題になっていたラブホテルの名前について。「うちの近所に『ここほれわんわん』っていう所があります。」そして数日後、まさかの返事がきた。「そこって、どういうカップルが使うんでしょうね...春樹。」...とにかく驚いた。メールってすごい。そして、間もなく会社で個人アドレスをもらった。今のように皆がアドレスを持っている頃でなく、仕方なく女友達のため(?)、男友達とのコンパのアレンジにメールをフル活用した。(それとは関係なく)その後、私は今の夫と知り合い沢山のメールのやりとりがきっかけとなり結婚した。 なんて素晴らしいメール!これを読んでメールをしたくなった方はぜひツールドへお越しくださいませ。あなたの新しい世界が広がるかもしれません。ふふふ。(村上春樹、好き。キョウコ)(ツール・ド・コミュニケーション、坂田恭子)

 
  この8月前半、FACILの入っている事務所はとても静かでした。というのも、スタッフの大半が入れ替わり立ち替わり海外(イギリス、スペイン、ベトナム、グァテマラ)に赴き、残された常駐スタッフが、KFCのお手伝いのベトナムのPhongさんと、私のふたりだったのです。その間、事務所は落ちついて広々としており、キーボードを叩く音、クーラーの音までもが響きわたる、正直いってなかなか快適な環境でした。それでも、だんだんと普段の活気が恋しくなり、一人二人とスタッフが戻ってきたときは、ほっとしました。現在はまたいつも通りにぎやかです。けれども、ないものねだりでしょうか、あの閑静な空間がたまにちょっと恋しいです。最後になりますが、FACILのウェブサイトが出来ました。ツール・ド・コミュニケーションの作成です。みなさん是非ご覧下さい。http://homepage2.nifty.com/facil/(多言語センターFACIL、平田純子)

 
  <MANGO>
マンゴー。皆さんはこの言葉を聞いて何を連想しますか?♪♪君たちキューイ、パパイヤ、マンゴーだぜ♪♭ ウウウー、マンゴ!!!いやいや。ここ鷹取ではちゃうねん。「マンゴー」。これには深ーい意味を含有した背景を持ち、ワールド・キッズ・コミュニティーの1プログラムとして約2年前より活動している、ものすごーいイケテル活動なのだ!大サービス!まだ御存知ではないイケテナイ方のために、「マンゴー」を簡単に紹介しちゃいます。家庭教師派遣プログラム、通称mango。外国人家庭にその国の言葉のできる家庭教師を派遣し、子どもの学校生活に不安を感じる家庭とのパイプ役的役割を担う。それが「マンゴー」です。利用家庭10家庭。ボランティア登録者約20名。ちまたではかなりの人気なのだ、これが!もしお近くにこの活動に興味お持ちの方がいらしたら、WKCまでご連絡を!お待ちしてます!話は変わって。この2ヶ月間小島の留守中、皆さんに数々のご迷惑をおかけしたことと思います。この場を借りて、感謝とお礼を申し上げます。サンキュー!ちなみに。。。中米グアテマラへ教育援助の調査と視察のため行ってました。先住民マヤの子どもたちへ行っている、母語とスペイン語でのバイリンガル教育はものすごく興味深かったです。なんと言っても、華やかな民族衣装をまとったマヤの子どもたちの笑顔がかわいいんだ、これが!そんなこんなの、グアテマラかぶれ 小島でした。(マンゴー、小島祥美)

 
 

 
  みなさん こんにちは!! AWEPのフィリピンから来ました、マリアンです。7月から、ゆかりさんと毎日仕事をしていて、私は、英語とタガログ語の通訳、製品の値札つけ、アクセサリーやAWEP製品をイベントで販売しています。みなさん!たくさん買ってくださいね。沢山の人の出会いを楽しみにしています。私を見かけたら声をかけて下さい。宜しくおねがします。(^0^) (アジア女性自立プロジェクト、チネン・マリアン)
<ちなみに、今回のAWEPの原稿は、マリアンが自分で書いたものです。AWEPの日本語教室で一生懸命勉強した成果です!!!はじめは、自分の住所も漢字で書けなかったのに、今ではこんな文章も少しづつ書けるようになってきました。これぞ、エンパワーメントですね。>

  FMわいわいラジオ局
  古い大きな建物のエレベーターを降り、案内された広い部屋には長方形に机といすが整然と並べられ、あちら3人こちら3人が2.5mほどの距離をおいてすわった。緊張のシチュエーション。5年に1度の「再免許」。手続を終えた後の近畿電波監理局でのヒアリングのスタート場面。あちらは電監の係官3人。こちらは神田・きゅそぷ・みお。神田は「わいわい」の夢を語り、きゅそぷは事業計画をしゃべりまくり、私は番組審議会の事を息つく暇もなく説明する。いよいよ係官からの厳しい質問攻め?と思いきや、「わいわい」に対する同情、激励。コミュニティ放送局の草分け的存在とのお言葉も。つい調子に乗って神田は「国から助成金は出ませんか?」と。相手は口あんぐり。これは甘かった「出ません」。皆が応援していますので頑張ってくださいのお言葉で1時間ちょっとのヒヤヒヤのヒヤリングを終えました。これからも皆さんよろしく。頑張ります。(FMわぃわぃ、全美玉)

  キッチンハウス
  たかとり救援基地で有名なタロウとフユちゃんが、9月9日に結婚式をしました。台所は休み(うれしい!)じたばたしたタロウも、新婦の為か?自分のケジメか(?)新婦に頭を下げ、皆に頭を下げ、忙しい中、準備をして来ました。式は格式高く(?)手作りのパーティー、千秋さん作ウエディングケーキ、高橋さん作参列者の為のケーキ、フルーツポンチ、赤飯。ツールドの日比野夫妻作水ギョウザ、同じく大坪さんの焼き鳥、加代さん作サンドイッチ、もっちゃんのビール、ボランティアが握ったおにぎり、差し入れのサラダ、フルーツ、お寿司、コロッケ、ワイン、日本酒。水面下で企画して皆をビックリさせた餅つきパフォーマンスのめでたや。始めて、たかとりに来たのは95年11月大国公園の祭りに来て、その後のイベントに来たときに知り合ったフユちゃんは、めでたやのアルバイトをしたそうです。招待状の変わりに電話したのが5月、返事は仕事が入っていると断った。しかし、数人で企画、準備をしていた。スタッフの誰も知らなかったハプニング。でも、なによりめでたやのお父さんが一番ウルウルしていました。台所が休みにも関わらずビニールの山には変わりが無いのでした。(台所、出口幸代)

 
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ペーパードームができて丸5年(9/17)がたった。ひとりのアイデアに多くのボランティアが協力し、「まちづくり」のために建てられた夢のドーム。まちを復活させるための話し合いがなされ、被災者を励ますために多くのミュージシャンが曲を奏で、そして歌った。結婚式や葬式、日曜日にはミサにも使わせてもらった。ここに集まった人たちの喜怒哀楽が紙の柱に染み込み、まるで魂が宿っているかのようだ。しかし、人がここに集まったことよりも、ここからそれぞれの場所へ出かけて行ったことにドームの夢がある。

   
   
   
   
 
  「TAKIBI」a love letter from TAKATORI
published by たかとりコミュニティセンター