Edited 1997.1.30

  News brief
  ■ 1月11日から1月17日 江戸の祭囃子と獅子舞が各仮設、公園でライオンズクラブの協力で披露される。
■ 1月17日5:30より震災三年を迎えて「追悼と新生」のミサ。
■ 1月19日1:00より「エフエムわいわい開局一周年」セレモニー・パーティー。
  Office 情報
  ペーパー・ドームの移動も何とかクリスマスに間に合った。二階建のプレハブが4つ、平屋のプレハブが1つ、保険室もばらして移動させた。プレハブの本体は業者のプロにしていただいたが、中の仕切りをしたり、床にコンパネをもう一枚引いたり、ひさしを付けたり久しぶりににぎやかに、和田さんの美声を聞きながらボランティアで作業が始まった。基地の中は急に活気付いた。次々と入れ替わりにボランティアが来てくださってお正月を迎え、長楽仮設の方々の招待を受け新年の集まりに参加できた。食堂も少しづつ荷物が入り台所の移動を待つばかりになっている。平屋のプレハブが保険室になる。今保健室の中を三つの部屋に分けて、素晴らしい暖かい部屋ができていきそう。ニックネームを変えて新たに来てくれたボランティアとバイトをしながら時間のあいている時に来てくれている二人で頑張っている。仮設、個人の家の訪問は、日帰りのママさんボランティアとシスターがしてくださっている。
募集した文章が少し届いています。送ってくださった方ありがとうございました。震災三年目を迎えて気づいたこと、感じたこと、得たことなど文章にして送ってください。
 
  年末年始休まず活動を続けた。風邪を引いて買い物に行けなかったり、お母さんの入浴ができないで年を越そうとしておられた家を訪問出来た。家が建って仮設から自宅へ引越ししたくても、荷物の整理ができていなくて引越しを延ばし延ばしになっていた人の引越しがあった。ボランティア総出で二日間と言うより年越しでの引越しとなり、新しい家にゴミは持っていけないと言うことで基地で次々ドラム間に入れて燃やした。でも、いざ一人暮らしの生活、チョット心配が残る、「少し痴呆が出ているような気がする」とボランティアは言って基地を去った。
  街の保健室
  このたびは、ご迷惑をおかけいたし申しわけありません。私の不注意の為とはいえ、私だけのことではすまされないと思い知らされました。とりわけただでも多忙中の皆様に応援していただき、お礼の申しようもありません。おかげをもちまして、ようやく全快いたしました。健康であることの喜びをかみしめながら、ボチボチエンジンをかけています。取り合えず全快のお知らせをかね、治療期間中のご厚意に感謝いたします。ありがとうございました。
 
  いつも悲しさと喜びが
私達それぞれの
人生の中で混ざっていますが、
時によっては
この対照的な気持ちが
もっとはっきりします。
年末と新年の時期、
つまり時間の流れの感じが
強くなる時期が
このような時です。
けれども時間というものは、
経つ時間だけではなく、
来る時間でもあります。
可能性を持っている時間、
新しい経験とか、出逢いなどを
持っている時間でもあります。
正月の時期は
この明かるい面の方が
見やすいのだと思います。
「もしかすると
迎えている新年の間、
我々の期待は
現実になるかどうか知れませんが、
そうなってくれるといいなぁ...」
  ボランティア
  文通ボランティアの元祖というかアイディアを提供してくださった方が、一昨年の暮れに、救援基地を訪ねて来られて、文通相手の仮設住宅を訪問し、一緒に「行く年来る年」を見て広島へ帰られずに年を越された。仮設におられる方が視覚障害なので、その後テープの文通となって、文通が続いている。昨年の年末は、仮設の方が広島に行き一緒に年を越されました。仮設の方と共存する証に「頑張れ神戸」をキャチフレーズにして活動の輪が広がり、手作りのアクセサリー、持ち寄りのアクセサリーを集めてクリスマスプレゼントを送ってくださったり、多くの方に年賀状を書いていただき送ってくださいました。仮設住宅でのクリスマス会で大変喜ばれました。年賀状は災害公営住宅に住んでおられるキャナルタウンに配達しました。一つの物が大勢の人の手を経て心が伝わっていくのはとても嬉しいです。又文通がきっかけで、北海道から仮設の人に会う為に来られた時、奥さんの妊娠が発覚し流産しかかっていたため、奥さんだけが京都どまりとなった方が、クリスマスイヴに男の子の双子を出産され喜びの手紙が届きました。
 
  遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
多くの方々からいただいた年賀状の返事を「たきび」での挨拶でお許し下さい。
神戸は3年目に突入しました。「石の上にも3年」と言う諺もあれば、片や「3年目の浮気」と言う唄もあります。「ここまで来たんや、頑張るで。」か、それとも「もう、あかん」なのか。
大切な時を迎えることになりました。
まだまだ家が立てられずに更地が広がっています。4万世帯近くもの家族の人たちがまだ仮設住まいです。
皆さんがいつも側に居てくださったからここまで来ることが出来ました。
この1年もどうぞよろしくお願いします。
SORRY, UNDER
CONSTRUCTION!
ポスターコレクション
   
  キッチンハウス
  木枯らしに首を竦める季節、パートの行き帰りに通る公園に粗末な5、6軒の「イエ」、風が開けた戸の奥に、鍋や醤油と幼い男の子の姿が見えました。
二度目の冬を…と思うと胸が痛みます。早く皆が本当の「わが家」に住めるようにと台所の片隅で祈りながら働いています。

震災からまもなく二年が来ます。教会の掲示板に非日常から日常へとありまました。台所も平常に戻り閑散としております。今年は惰性に流されないように献立に味付けに心を配って行きましょう。再編成の声も聞かれる中、今年はどのように展開していくのでしょう。
  FMわいわいラジオ局
  みなさんこんにちは、今日は私たちわいわいファミリーの「ファーストアニバーサリー」のご案内をいたします。ベトナム語放送「ユーメン」と、韓国・朝鮮語放送「ヨボセヨ」の仲間たち、そして・中国・ポルトガル・スペイン・英語・タガログ・日本など8つの言語を通じてあつまった仲間たちがわいわいファミリーの「ゆびきりげんまん」をしました。
合言葉は、「まちづくりの中で多文化共生の花を咲かせよう」です。今では180人をこえる大所帯になりました。この大所帯の家計をやりくりし、時には兄弟ゲンカを見守り、ワイワイいいながら夢を育み続けながらアッというまに、ゆびきり1周年を迎えることになりました。1月19日午後1時から、「ペーパー・ドーム・たかとり」でささやかな感謝とお祝いのパーティーをします。おいしい民族料理と楽しいイベントを用意してみなさんをお待ちしています。わいわいのイメージソングの発表もありますのでオ・タ・ノ・シ・ミに!
 
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「おもしろかったなあ…」と言えば不謹慎と言われるかもしれない、でも、あれから二年たってひとことで言うとその言葉しか出て来ない。良く笑った、良く泣いた、感動した、感謝した、腹が立った、嬉しかった、くやしかった、まだまだこのての言葉が全部並ぶ。その二年だった。失ったものは何一つなかった、得たものは今までの人生全てと取り替えても余りあるほどあった。うしろ髪をうーんと引っ張られながら、山ほどの希望と夢を持って私は1月17日三年目の朝、基地を出る。基地からスープのさめる距離をもって外部から基地のお手伝いをしていくつもりだ。毎年何処に居ようと1月17日の昼頃基地に居る。今、私は言葉を一つしか知らない、「ありがとう!!」 和田耕一
 
  「TAKIBI」a love letter from TAKATORI
published by たかとり救援基地